人生は詰んだけれど

無理やり幸せを探す人生に疲れました

涼しい夜の絶望感

立ったまま何時間も、たまに5時間くらい経っているときがあり、気が付いてクラクラするときがある仕事です。たまに夜遅くにツイなどでPCを前にして深夜まで仕事している図や写真などを見ますが、座って何か口に出来るだけいいな…と思ってしまったり。

お客様が目の前にいると、仕事以外の何も出来ません。目の前に目があり、口があり、ずっと監視されているような。実際うちの上司は普段人がいい感じなのに、突然「あれをやめろ」「これはどうなんだ」といった意味の連絡表を書いたりするのでまったくもって油断出来ない。前を見ずにカートを押してバックヤードの扉を勢いよく出る、シャッターを思いっきり落とすなど、疲れて無意識にやってしまいがちなことも注意が入る。おお怖い。いや、気を付けないと。普段私は出来ている!と思いがちな人ほど出来ていません、などと書かれると、もう自分のことだと思ってたほうがいいよな。ちゃんとしてるつもりだけど。

 

で、何時間も集中して動いていると、帰宅して足がしびれています。お腹もすいていて、早く汗を流してなにか食べたい。が、今は冷戦中。自分のごはんはありませんし、ダイニングに行く気もない。

なので近所のローソンに寄って帰宅したのですが、チャーシューまんとからあげクンでは全然満たされない。なんでだろう。

寂しいんだろうなあ。炊き立てごはんとお味噌汁、焼き魚が食べたい。別に母が作ったものじゃなくて、自分でこしらえたものでいいんだけど、その場所もない。なんだこの絶望感。

 

お風呂から上がって、モーガン・フリーマンの時空を超えてを観ながらぼーっとしていたけど、起き上がってPCを点けました。手帳付けたいし、金曜の夜は土曜日が早出だけど、なんとなく昔から夜更かしです。寝過ごしたこともないし。

これが現実なのかそうでないか、研究しているのを見ていたけど、現実でなくたってそうだって、自分がそこに実感としてあるものがすべてではないのかなって思う。いまどう考えどう感じ、どういった気分なのかという、それだけ。

私たち庶民の大半は、毎日同じ繰り返しを、なんとか折り合いをつけて、楽しいことを見つけて、半ば諦めながら一所懸命生きている。

今日もただただ自分のやっていることを信じて頑張った。他から見れば出来ていないかもしれないし優先順位も違っているかもしれない。だが私はこうだと、精いっぱいだと信じている。いまはそれに縋るしかない。

 

観るものがなくなったので、録画してあったブラタモリをかけた。いいなあ、旅に出たい。ずっと言ってる。ずっと言う。旅がしたい。国内でじゅうぶん。温泉に浸かり、美味しいものをいただいて、コーヒーを飲みながら本が読みたい。

 

いい加減、昼間の暑さが収まって欲しい。まだまだ暑くて息が切れます。が、夜は涼しく、風邪を召されたお客様も多くなってきた。

代わりはいくらでもいても、私は私ひとりしかいないのだから、体調を崩したくはないものです。崩したって誰もいたわってくれないし、仕事では上司の機嫌が悪くなるだけでいいことなんかない。

悪いのは精神だけでお腹いっぱいです。