人生は詰んだけれど

無理やり幸せを探す人生に疲れました

うっかり忘れるとかいうレベルではない。

ブログを書く以前に、手帳にいろいろ書くクラスタであるため、また同じようなことをネットに書き散らすのもどうかと、思っているわけではなく、単に存在を忘れていました。私にとって大事なのは発信ではなく、ゲームであり、読書であり、Twitterであり。Twitterの心地よさ、手軽さ、面白さは他に類を見ない。みんな大好き独り言。無理に繋がる必要もなく、誰も見ていないどうせの精神。

 

正社員になるための登用試験がある。今年の受験生は18名、その中で2名ほどが受かる。2名しか受からないのか2名の枠なのかは人事部にしかわからない。人事部にはかつての直属の上司がいらっしゃるのだが、当然タダのパート上がりに何が出来るでも相談が出来るでもなく、ただ単に収入をとにかく上げたくて受けるだけ。受かるとは思っていない。一回受けて簡単にめげて、もう嫌だと言っていたが、複数の社員さんに続けた方がいい、と言っていただけたから受けるのであり、だけどそこそこ勉強に時間を当てている自分の生真面目さに嫌気もさす。要するに見栄っ張りなのである。

 

それも1月の末には終わるので、試験勉強以外の時間はそこからどう遊ぶかしか考えていない。絵が描きたい。同人誌を作りたい。もともとのノウハウはばっちり、高校のときからやっていたし、足湯程度にプロの中も見た。編集長が付いて、3回しか載らなかったけど。しかもライトなエロで非常に微妙で、消したい過去でもあったが、最近あまりに自分に何もなさすぎて、逆に懐かしく頼もしく思えてくるので不思議。

 

美術館巡りがしたいし神戸にもまだ行きたい、京都も、大阪にも。徳川ミュージアム、オリンピック前の東京。しかし金はない。ので、ない頭を振り絞って考える。どれかを取りどれかを外すだけの話。映画は今年はあまり遠慮しないで行く。ベイマックスは映画館で見るべき映画だった。

 

あと少しあと少し。受かるはずがないと思っているのは落ちた時のショックを誤魔化すためだと充分自覚したうえで、またあの無駄に広くて寒い会議室で受けるのか。手が震えて書けないんだよな~、一緒に受ける正社員2年目の子は同じ内容だけどきっとあっさり受かるのだ。だって正社員だから、等級試験だから。娘くらいの年だし。自頭が全然違うし。

 

しかしなんとか人生を良くしたいと思うのは20代も40代も同じ。今開けてみた明治THEチョコレートのフランボワーズがとても美味しいので長文も終わらせる気になってきました。綺麗なパッケージ、三つに分かれていてその袋も、取っておきたいくらい素敵。こういうお菓子が増えるといいな。では、美術館情報収集の海に潜ります。電車の中吊り広告とかでこういった情報が拾えるの、羨ましい。ここは愛媛です。

見守るといえば聞こえは良いただのヲチ

とある方々の様子を見守っていました。

ただのモブとして傍観しているだけです。

意見はこの自分の場所でだけ。

コメントもしたことはありません。

 

つくづくはてなには飽きない、この、いわゆるおかしな人たちがどうなっていくのかは簡単に想像がつきますが引き続きただの野次馬です。

 

なんだか自分の「感覚」や「普通」を疑う時代に来ている気がしますが、私はもう42なのでどうでもいいっちゃいいです。

好きにしたらいいみんな。

これは別に珍しくない自業自得です。

明日、車検なのですが、落ち着きません。予算は12万用意していたのですがタイヤを2本新品にするのと、3回目の車検、7年目ということでガタも来始めていて、不安。とにかく不安、20万とかいったらどうしよう、ググッて(軽です)そんないらなそうだとは思うけど、わからない。興味の範囲外。本当なら車の要らないところに住みたい。

 

薄給。常に金欠なのに趣味ばかり多く、寂しいので甘いものや簡単だけど外食がなかなか減らない。それでも12万は置いといてたんだ…それ以上になってしまうと10月31日から神戸に行けない。京都に行けない。借金は嫌だから予算以上になったら潔くいくのは辞めます。うう、唯一の心のよりどころが…。

 

毎日お金のことばっかり考えてるのも趣味なんですが、果たして10万の月収でどんだけ使っていけるのか。みんなお金持ってるように見えてしまう。たとえ同僚でも。

私は今の職場の中では遅番、資格者で、まだ貰っているほうなんだけど、それでも10万である。お客さんは絶対そんなふうに見てない。確かに市役所の事務の人とかも、派遣とかパートかもしれないのに優秀でお金持ちに見える。たぶんあんなもんかな。

 

お金もない。家族とは不仲。息子は大学で神戸。うちは四国。彼氏もいない、友達は片手もいない。知り合いはたくさんいる。人と親密になれない。ある程度付き合ったらいなくなっていくか、自分から離れてしまう。

寂しいのにお金もなくて、我慢して我慢してそれでも貯まればよいが、それなりに食べるだけで消えていく。食費はいちばん削ってはいけないという。そう思う。

実際母と喧嘩して、家でごはんをあまり食べなくなり、毎日お弁当で持って行ってたトマトとブロッコリーが途絶えたら肌が荒れ始め、お通じも良くない。

野菜だけはなんとかしてたっぷり摂りたいのに、簡単に食べられるレトルトやカップ麺、調理のいらないものなどを選んでしまう。

だって台所に行きたくない。でもそろそろそうも言っていられない気がする。明日は野菜とチキンのカポナータを3日分作ってお弁当にするつもりです。

 

乳液が切れて2日。むり、メイクはするけどベースメイク至上主義なのでなにかは付けたい。ウテナのシンプルバランスから、オールインワンゲルが出ていてそれが598円。とりあえず、つなぎとして買ってきた。うまくいけそうならオールプチプラにしよう。もう40も超えてこれはどうなんだろう。だけど、メイクをまったくしない人はたくさん周りにいるし、見た目を磨いたとして、はて。という毎日である。

うん、いいや。先月はいいの使ったし。(まあまあ)いいのと安いのをかわるがわる。

無駄に入ってないのにでかい財布も買い替えたいし、下着も欲しいし靴下もだいぶ穴が開いて捨てた。うーん全部とりあえず後で。

 

そうしていろいろなものを削っていって、今年はもう本もゲームも買う気はないし、それくらい今回の車検代がでかくなりそうなのは悪い意味で心に響いた。なんでアレを我慢しなかったんだろう、コレを買う必要あったのかな、走行距離を稼いでしまうだけなのに、気持ちが塞いだときにただ走った幾多のドライブ。

 

だけどそれがないとひたすら私は家と職場の往復だ。心を開ける人も一人もいず、家族とは口もきかない、家でゲームとネットと手帳、そして勉強、それで大丈夫なのか、お菓子も甘いものも、コンビニの新作スイーツも食べないで。

 

そうして何年後かには自立できる確証があるのなら頑張れそうだけど、ここ何年も挫折してきた道である。私には甘えがある。むしろ甘えしかないのではないか。

毎夜のようにダメだダメだと反省しているのにまったく成長していない。いい加減家に引きこもらなければならないのかもしれない。ますます病むだろうな。

 

私は寂しいのだ。だから毎日の無駄なコンビニ通いやお菓子、外出を辞められない。人と話さないから自分と対話するしかなく、他の意見を聞くことがないからどんどん依怙地に頑固になってしまう気がする。嫌だなあ。あんな母みたいになるのは嫌なのに。

お金さえあればとは思わないが、先のためにいま我慢も必要だと思う。ずいぶん書き散らかして、ちょっと気も済んだ。

神戸に行けるか明日決まる。どうか予算内に収まりますように。

 

 

 

涼しい秋の夜のコーラスと電子音

早くも5日が経っています。前の記事から。

あまりぼーっとしている意識はないのだけれど、まったくなにも出来そうにない時間というのはある。昨日は少ない友人のひとりと買い物をして、相当に使って(いつもの節制から比べるとという意味)楽しかったのだけれど、帰宅したらもう動けなかった。疲れていたのもあるけど、ストンと穴に落ちてしまったかのように心も落ちてしまっている。

 

私が無知なだけだったのだが、「新型うつ病」という名称は造語に近く、臨床現場で使う正式な名称は「非定型うつ病」というらしい。

昨日のように、遊べるだけ遊べて、帰ったら寝込むというのは典型的っぽいけど、まだどうやら自分では病までいっていないと思う。今日は一日中仕事していたし。足は棒だけど、こうしてPCの前にもいる。金曜日は以前好きなドラマが乱立していたこともあって、土曜の朝が早いにも関わらず、夜更かし気味。

 

サカナクションの先行シングル「moom」を聴いている。コーラスとテクノ・ハウス系ていうのかな。山口さんの声はしない。サカナファンにはおなじみ。

心地いい。ボーカルであり、サカナの主体である山口一郎さんは、愛の歌を作らない。作らないこともないのだろうけど、あからさまなラブソングが、サカナクションにもない。デビューまで遡っても見当たらない。

なのに、自死を予想させる歌はある。

ネガティブだけど、前を向いて夜を歩く。とぼとぼと歩く。そんなイメージの人であり作品。

ライブにも何回か行ったけど、お金の問題で最近はご無沙汰。あと、箱が小さいところはもう無理だ。大阪城ホールも、次はアリーナではなくていい。ああ見えて結構常に縦乗りで、バラードもないので休ませてくれないのだ。

 

夏に散々アネッサのCMで流れた曲が、まだ私たちに届いていない。歌詞に悩む人なので基本リリースはゆっくり目。なのに届いた歌詞の冒頭から「レシートは捨てた」とかなので裏切らない。いろんな意味で。

 

山口さんが結婚してしまったら、よくあることのように、音楽性や歌詞は変わってしまうのだろうか。一人の人間なので、もちろん必要とあらば、パートナーを見つけて幸せを感じても欲しいけれど、多分、いや絶対、ショックだろうな私。どうか独身のまま、生きていくしんどさとか、前を向く気持ちよさ、失敗したあとの前進、など、延々とこのサウンドを聴かせて欲しいと思う。


サカナクション/多分、風。 完全限定盤Blu-ray,DVDダイジェストムービー

クソみたいな世の中だ。と思った。

1日20時間。1日は24時間しかないのに、計算すると1日20時間仕事をしていたようになるのだという。例の、電通女子社員の痛ましい死。

ツイッターに残された叫び。深夜22時で早い、とかの仕事量とは、完全に私の中では予想を超えている。

 

世の中には見たことも聞いたこともない仕事があり、むしろその方が多いのだけれども、私たちはたいてい自分と比べ、自分の想像と経験からモノを言う。自殺してしまった方の仕事内容は想像出来ない。どう組み込まれ、仕上がり、どうなれば終わる仕事なのか。接客業務だからかもしれないが、何か物を作るにしても、終わりがない仕事というのはどんなものなのか。

 

他人ではどうにもならないクリエイティブな仕事をする人と、誰でも教えられれば出来る仕事。大半が後者だが、その中でも計算しうまく回し、定時で帰る者、時間が来れば途中で置いて帰る者、仕事のスピードや考え方は全然人によって違う。正解はないと思う。

だが平等なのは時間だ。どんな量であれやり方であれ、早くても遅くても、時間は1日24時間しかないのである。忙しい人にだけ30時間与えられることはない。が、電通の時計はそうなっていたのではないか。夜の18時が昼の14時。昼の12時は朝の8時。狂って狂って、4時間も5時間もわからないような。でも、朝日は必ず登り、お腹は空くだろう。気持ちを考えると、なんだか涙が出そうだ。

 

私の職場は基本的に残業をしない。というより、出来ない。上司の指示でないと、と表向きは。だが慢性的な人不足、重なる本部からの指示書、いきなり来る配荷。チラシ。売れる。満足に出来ていない補充。みんな月に平均8から10日休む。祝日はないぶんきっちり週休2日はある。むしろ、ないと身体がもたない。ずっと立ちっぱなしだし。

立ち仕事で100時間も残業(している人もいるだろうけど)すると倒れる。よほどやる気の、若い体力のある男子ならわからなくもないが、少なくともパートおばさんは時間内で帰るからパートなのである。だから私も帰る。仕事は残る。

だが仕方ない。時間は24時間しかないのだから。もうむり、と半ば強引に終わらせるしかないのだ。

だが本部からはきちんと、あれもやれこれもやれとくる。本部も上からやれと言われる。みな、どこかで折り合いをつけ、このくらいで、が暗黙の了解だ。いつもいつも綺麗に揃えられている店は、補充だけの専門員が常にいるか、お客が来ない店。

 

終わるから頑張れる。休みがあるから頑張れる、そうではない、いわゆる社畜の状態は、心でどう処理すればいいのだろう。私が女だからわからないのだろうか。いつまでもいつまでも仕事ばかりする男たち。他のことが面倒なのだろうな、場所、なのだろうな。と思ってはいたけれど、理解は出来なかった。麻痺して、それが自分のすべてで、面白いのかな。だけど。

 

ただただ書き連ねていたら、激しい雨が降り出した。明日が台風だろうが、槍が降ろうが、私は仕事へ行く。それは、責任感。仕事はけしてお金を貰いに行くだけの場所ではない。時間がくれば帰り、休む。また行く。繰り返し。生きて行く意味の中の一つ。すべてではないはずです。

 

死ぬしか休めなかった女の子は、いま安らかだろうか。雨の音を聞いているだろうか。世界も泣いています。本当に、こんなクソみたいな世の中で、本当にごめんなさい。

 

 

涼しい夜の絶望感

立ったまま何時間も、たまに5時間くらい経っているときがあり、気が付いてクラクラするときがある仕事です。たまに夜遅くにツイなどでPCを前にして深夜まで仕事している図や写真などを見ますが、座って何か口に出来るだけいいな…と思ってしまったり。

お客様が目の前にいると、仕事以外の何も出来ません。目の前に目があり、口があり、ずっと監視されているような。実際うちの上司は普段人がいい感じなのに、突然「あれをやめろ」「これはどうなんだ」といった意味の連絡表を書いたりするのでまったくもって油断出来ない。前を見ずにカートを押してバックヤードの扉を勢いよく出る、シャッターを思いっきり落とすなど、疲れて無意識にやってしまいがちなことも注意が入る。おお怖い。いや、気を付けないと。普段私は出来ている!と思いがちな人ほど出来ていません、などと書かれると、もう自分のことだと思ってたほうがいいよな。ちゃんとしてるつもりだけど。

 

で、何時間も集中して動いていると、帰宅して足がしびれています。お腹もすいていて、早く汗を流してなにか食べたい。が、今は冷戦中。自分のごはんはありませんし、ダイニングに行く気もない。

なので近所のローソンに寄って帰宅したのですが、チャーシューまんとからあげクンでは全然満たされない。なんでだろう。

寂しいんだろうなあ。炊き立てごはんとお味噌汁、焼き魚が食べたい。別に母が作ったものじゃなくて、自分でこしらえたものでいいんだけど、その場所もない。なんだこの絶望感。

 

お風呂から上がって、モーガン・フリーマンの時空を超えてを観ながらぼーっとしていたけど、起き上がってPCを点けました。手帳付けたいし、金曜の夜は土曜日が早出だけど、なんとなく昔から夜更かしです。寝過ごしたこともないし。

これが現実なのかそうでないか、研究しているのを見ていたけど、現実でなくたってそうだって、自分がそこに実感としてあるものがすべてではないのかなって思う。いまどう考えどう感じ、どういった気分なのかという、それだけ。

私たち庶民の大半は、毎日同じ繰り返しを、なんとか折り合いをつけて、楽しいことを見つけて、半ば諦めながら一所懸命生きている。

今日もただただ自分のやっていることを信じて頑張った。他から見れば出来ていないかもしれないし優先順位も違っているかもしれない。だが私はこうだと、精いっぱいだと信じている。いまはそれに縋るしかない。

 

観るものがなくなったので、録画してあったブラタモリをかけた。いいなあ、旅に出たい。ずっと言ってる。ずっと言う。旅がしたい。国内でじゅうぶん。温泉に浸かり、美味しいものをいただいて、コーヒーを飲みながら本が読みたい。

 

いい加減、昼間の暑さが収まって欲しい。まだまだ暑くて息が切れます。が、夜は涼しく、風邪を召されたお客様も多くなってきた。

代わりはいくらでもいても、私は私ひとりしかいないのだから、体調を崩したくはないものです。崩したって誰もいたわってくれないし、仕事では上司の機嫌が悪くなるだけでいいことなんかない。

悪いのは精神だけでお腹いっぱいです。

いろんなものに救われている自覚

なかなかネガティブだと、自覚が出来ない。すべて自分の責任、能力の無さ、運の無さ。考えたらず。頭の悪さ。いくらでも自分を追い詰めることが出来てしまう。

 

そのうち自分を責めることにも飽きて、ベッドにいることも飽きて(このあたりがまだ精神科に行かなくて済んでいる程度なのかもしれませんが)、起き上がり、でも家族と顔を合わせたくなくて、こっそりと顔を洗い、軽くメイクをし、荷物を持って家を出る。午後の一時過ぎ。これは休日であった今日の話。

横になっている間や仕事のレジや、趣味である手帳を付けている間、間中と言ってもいいかもしれない、休日に何をしようか考えている。計画。時間の使い方。

時間がもったいないと思うこと、その概念は結構前にとっぱらった。後悔して後悔して、ダラダラ過ごした時間を殺してしまいたくなってくる。なのに中年である自分に制限は設けてしまい、何も出来ない、こんな歳だから、とくる。いい加減自分でも嫌になりますね。

 

今日は、すっかり諦めていた登用試験をまた受けることに決めたので、勉強をしようと、新しいノートと潰してしまった蛍光ペンを買って、図書館に行く。そう決めていた。試験のことは前回も受けて玉砕し、合格者5%の現実を見て、もう勉強無理、しんどい、今年は受けないと思っていた。

が、昨日、仲良くなれたのに3か月足らずで異動になった社員の子が、重ねて受けることのメリットをたくさん話してくれた。内部を私よりは知っている子の意見で、考えてみれば他の子たちも同じことを、以前受けるときに言ってくれたのを思い出した。

自分の無能さに、それをすっかり忘れていた。やっぱり受けてみよう。それが自分の自立には一番近いし、何より大義名分。大手を振って、家を出ることが出来る。

 

何も食べていなかったので、イオンで文具を買った後、ミニストップでおにぎりを一個と缶入りのカフェオレ、これは図書館では飲食は出来ないのだけれども持って入る用。何も飲まずに何時間も勉強するのは辛いので、カバンにちょうど入る大きさ。同じように勉強しているお仲間は、たいていみんな持ってきている。

あと、このGABAのチョコレート。ストレスに強いという。眉唾、気休めだと思っていたけど、よく読むと一日5粒の摂取量が推奨だった。お腹壊したのはそのせいなのかな?今度からは普通のチョコを買っていこう。チョコ&コーヒーで勉強するのが好きなのです。

集中力上がると思ったんだけどな。でも普段摂取するには美味しいしお手軽。

 

ミニストップのおにぎりは海苔がパリパリしていて、味が付いていてとても好き。いちばんはセブンのだけど。

 

若いころ、旧の古いころから図書館は常に通っていた。タダで新書が読めて、貸してくれて、静かで、司書さんたちみんな不愛想。

最初はなんだここの人たちは、と思ったけど、今はそれが心地いいから、淡々と仕事をしてて欲しい。いつも返すの遅れて電話貰って、申し訳ないです。

 

奥のテーブル席しか空いていなく、一人だからいつもそこは遠慮していたのだけど仕方ないので座る。一時間ほど作業して、エアコンの効き具合や本、壁との距離、いろいろと丁度よいことに気付く。むっちゃ前から利用してるのに初めて気づいた…いつもは窓際のカウンター的な席。暑すぎたり寒すぎたり、あまり合わなくて、図書館勉、向いてないのかな~なんて思っていた。場所の問題なんだ。

 

その、私が合わなかった場所にいる女子高生が、靴を脱いで椅子に正座の状態で勉強している。かわいい。

 

久しぶりにプリント状になったテキストを開く。基本的に暗記(計算もあるけどまったく出来ないnot理数系脳なので完全に捨てている、捨てて受かるのかを試したいくらい計算は無理、多分このあたりは学習障害入ってる)なので何も考えずひたすらに書き写す。

ペンはアクロボールの07、ノートはコクヨのソフトリングノート。

ペンは少し滑りやすいが軽い筆圧でも書きやすく、発色もいい。ノートはもうこれ以外の選択肢がないくらい、勉強には向いています。

 

(貼り付けが便利だからってなんかアフィ意識しすぎ?まだ貼ってるだけだけど)

 

静かなので逆にBGMは必須。それに車移動、家ではTV、ゲームの私はここでくらいしか音楽をがっちりとイヤホンで聴かない。

ぼくのりりっくのぼうよみ


ぼくのりりっくのぼうよみ - 「sub/objective」ミュージックビデオ

 

tofubeats feat.オノマトペ大臣


tofubeats - 水星 feat,オノマトペ大臣(PV)

 

を経由して、

 

道

 

今、お水のCMで流れてるやつ。これだけ買いました。アルバムもきっとそのうち。

 

素敵なメロディで、ビートも効いていて、昔からヒッキー好きだったけど面影も変わってなく、楽しみながらどんどんと進み、閉館手前で席を立ち、充実した時間に満足。

隣の男性とペンケースがかぶっており、心で、ネオクリッツフラット、いいですよね、と呟く。Twitterにも呟いたけど笑

 

 

 

はてなブログすごいな、貼ってるの、こういう仕様だったんだ。めちゃ簡単)

 

正座で勉強していた女子高生は突っ伏して寝ていました。さらにかわいい。

 

勉強は、学生のときには嫌悪以外の何物でもなく、中途半端に漫画絵を描いていた私には邪魔で仕方がなかった。そのときの無能さが今の私につながってしまったわけだけれども…。

 

だけど今やる勉強は結構面白く、充実した時間であることを自覚する。好きな音楽に救われ、充実を感じられた時間に救われている。

ここに行き着くまでが大変だけれども、出来てしまうと満足感が得られる。ブログもそうかも、無駄に長くなってしまったけど、今のとこ読んでるのは私だけなのでかまわない。

 

家族と冷戦状態が長くなりそうなので、最低限の食料をセブンで買って帰る。そのままここに座って何時間経ったかな。昼間したのとはまた別の勉強をしていた。

 

こんな日が増えてゆけばと思うのだ。昨日はやっぱりというか、帰宅して早々に休んでしまったし。夕食を抜かざるを得なかったので、ヘトヘトだったのです。

 

明日は昼からの出勤。今日はもうPCから離れて本を読もうと思う。

良い休日でした。